死を想う理由

昨日の記事で、いつもだいたい死にたいと思ってる、ということを書いた。

それでは、なぜ死にたいと思うのか。

・死が急に目の前に迫ったときに受け止められる自信がないから。

もし自分が死ぬことなんて考えたこともない中で、ただの風邪だと思って検査を受けたら病気が発覚ーーー余命宣告を受ける、だなんて展開になったらと思うと、とても耐えられない。

・生きていることを実感したいから

死について向き合おうとすると、生きるということを自然と考えることになる。

例えば、死んだらお墓に入る。
ただし自分で自分を埋葬することはできないので、正確にはお墓に入れてもらう。
さて、誰が私を埋葬してくれるだろうか?
心から喜んで埋葬してもらうにはどんな人生を送ればいいのだろうか??

・死んだことがないから

純粋に、死んだらどうなるのか気になる。

一生に一度はミシュラン星付きのレストランに行ってみたい。

一生に一度はオーロラを見てみたい。

一生に一度は死んでみたい。(死ぬけどw)


つまり、生きていれば死にたいと思うことは少しも変じゃないと思う。

死にたいと思いながら生きていく

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雨の日は気分が落ち込んで死にたくなる。

晴れた日は、こんな日に死ねたら気持ち良さそうだと思う。

悲しい時も嬉しい時も基本死にたい。
病める時も健やかなる時も結局死にたい。

簡単に言うと、いつも死にたい。
ということになるけれど、正確に言うとそういうわけでもないというか、、説明が難しい。

常日頃から死にたいと思っているのは事実。
しかし常にその思いが脳を支配しているわけではない。

仕事してるし、趣味もあるし、恋愛もする。
一応、生身の人間っぽい暮らしをしている。
ただ日常生活のふとしたタイミングで、死にたい気持ちが降臨する。

例えばエコバッグを持ってスーパーへ向かいながら、
まぁほんとは今すぐ死んだほうがよっぽどエコだよな〜
とぼんやり考えたりする。

死にたいと思いながら生きていく、と書いたらなんだか病んでいるように見えるけれど、実際はほかの人よりも少しカジュアルに死を想っているだけに過ぎない。